※前編へ
---------------おすすめ記事--------------------
放置子の親が「うちの子知らない?」と訪ねてきた。朝に300円持たせて「友達の家に行きなさい」と外に出して夫婦二人でパチ屋に行ってたらしい。
結婚式を控えたある日、嫁が会社の係長と飲みに行く約束をしてるLINEを発見。式には俺上司や同僚も出席予定で中止になったら合わせる顔がない…俺はどうすればいい?
一緒に高級旅館に泊まった友人が食事の席で「しまった私和食ダメなんだった!」と言って料理の交換を迫ってきた→私も食べたい料理だったので拒否したら…
万馬券を当てた旦那に貰ったお小遣いでママ友に昼食を奢った後日、見知らぬママに「運を分けて欲しいから当選金を分けて下さい」的な事を言われた。
お祭りのビンゴ大会で当てた景品を受け取ったら一緒に来てた友達が「いいなー私の家にあったら便利そう」と言い出した→スルーしてたら…
浮気と借金が原因で姉と離婚した元姉夫が慰謝料457万円の支払いを求めるメールを姉に送り付けてきた。
新幹線のグリーン席に座ってたら見知らぬ女が「私は持病があって立ってると発作を起こして倒れるわよ!」とか言って私の膝の上に荷物を置いてきた。
※前編へ
引用元 嫁に先立たれた奴集まれ 2
376: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/21(木) 21:03:54
>>332です。
少し落ち着いたので、吐き出してしまいます。
搬送されたときには、
10日以内に来るべきときが来る、
と言われていたにもかかわらず、
10日以内に来るべきときが来る、
と言われていたにもかかわらず、
妻はとても頑張ってくれた。
痛みを和らげるパッチの数も増えていったけれども、
その恐怖を口にすることはとうとう無かった。
その恐怖を口にすることはとうとう無かった。
その意味では僕より遥かに潔く男前だったかも知れない。
僕には出来ないかも知れないからだ。
僕には出来ないかも知れないからだ。
人気記事(他サイト様)
しかし日に日に痛みが増していく。
とうとう決断のときが来たようだ。
とうとう決断のときが来たようだ。
気が付けば搬送されてから40日が経っていた。
そして投薬開始の日。
ちょうどそのときは僕は仕事を抜けられなかった。
ちょうどそのときは僕は仕事を抜けられなかった。
付き添っていたのは息子だった。
二人はたくさん話が出来たようだ。
二人はたくさん話が出来たようだ。
「おやすみなさい」と二人は会話を締めくくったらしい。
その日、僕には妻からメールが来た。
もう携帯すら持てなくなっていた妻は、
口述で息子に僕宛のメールを打たせたらしい。
口述で息子に僕宛のメールを打たせたらしい。
「私は眠ってしまいますけど、毎日逢いに来て下さい。
寝てしまってちゃんと相手が出来ないかもしれませんが、
眠っていても私はわかっていますからね。
おやすみなさい○○(僕の名)さん。愛しています。」
僕は不覚にも、
職場で携帯を握り締めて嗚咽してしまった。
職場で携帯を握り締めて嗚咽してしまった。
377: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/21(木) 21:31:53
>>332です。
その夜、仕事が終わって、
まっすぐ病室に向かうと、妻は穏やかに眠っていた。
まっすぐ病室に向かうと、妻は穏やかに眠っていた。
今にも目を開けて
「お疲れさん、お帰り」なんて云いそうな感じで。
「お疲れさん、お帰り」なんて云いそうな感じで。
しかし、妻が眠りから覚めることはもう無いのだ。
意識レベルを下げる、と言うことは、
痛みを感じにくくなっているかもしれないが、
痛みを感じにくくなっているかもしれないが、
同時に、痛くて苦しくても、
それを訴えることも出来ないのだ、と言うことを意味した。
それを訴えることも出来ないのだ、と言うことを意味した。
僕のこれからの仕事は、
妻を快適に眠らせることだった。
妻を快適に眠らせることだった。
一定の時間が来たら、姿勢を変えてやる。
チョットやそっとでは起きないらしいので。
チョットやそっとでは起きないらしいので。
床ずれを出来るだけ防ぐには、それしかないそうだ。
母のときに、床ずれで苦しんだことを思い出していた。
まるで植木や花に語りかけるように、
僕は眠っている妻に語りかける日々が続いた。
僕は眠っている妻に語りかける日々が続いた。
出来るだけ注意して、苦しんでいないかどうかを見ていたけれど、
総合病院でのこと、やはり一人の患者に
24時間体制では看護士が附け切れないものだ。
24時間体制では看護士が附け切れないものだ。
腫瘍熱の所為で汗ばんでいる妻の身体を拭き、
額や脇、鼠頸部を冷やしているタオルを交換したり、
額や脇、鼠頸部を冷やしているタオルを交換したり、
僕の主な仕事はその繰り返しだった。
もう数日の問題だ、とも医者に云われていた。
もう数日の問題だ、とも医者に云われていた。
ある日僕が仕事が終わって、
病棟のエレベーターを降りたとき、
妻のうめき声が聞こえたので、
病棟のエレベーターを降りたとき、
妻のうめき声が聞こえたので、
すぐに姿勢を換えてやると、
僅かににっこりとしたのは、僕の気のせいなのか。
僅かににっこりとしたのは、僕の気のせいなのか。
病室も個室に移り、何かの感染症のきらいもあるので、
マスクに帽子、
簡易白衣を着て手袋をしてしか病室に入れなくなっていた。
簡易白衣を着て手袋をしてしか病室に入れなくなっていた。
そんな日々も約10日ほど経ったある日、
僕は病院のデイルームのソファーで仮眠を取っていた。
僕は病院のデイルームのソファーで仮眠を取っていた。
この10日ほどはバイタルの値も安定していたのだが、
それでも血圧が僅かずつ下がってきていて、
それでも血圧が僅かずつ下がってきていて、
それがある値に達したら危ない、と言われていた。
そして金曜の仕事が終わり、
病室から一旦自宅へ戻ったその夜明け前、
病室から一旦自宅へ戻ったその夜明け前、
僕の携帯がなった。病院からだった。
378: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/21(木) 21:42:44
>>332です。
「血圧が下がってきています」との事だった。
「すぐ来て下さい」
「すぐ来て下さい」
僕も息子も、病院へダッシュした。
病院へ着いたら、
「安定しました」との事。
いささか拍子抜けしたが、何より安心した。
「安定しました」との事。
いささか拍子抜けしたが、何より安心した。
その日、僕は、なんだか身体が熱いことに気が付いた。
自分の身体が、である。
自分の身体が、である。
考えると3日ほど風呂にも入れていない。
土曜の日中に来た見舞いの親戚達の相手をした後、
土曜の日中に来た見舞いの親戚達の相手をした後、
息子と付き添いを変わってもらい、
一旦自宅にシャワーをしに戻った。
一旦自宅にシャワーをしに戻った。
熱を測ってみると、41度である。
でもぜんぜんしんどくなかったのだ。
でもぜんぜんしんどくなかったのだ。
今寝込む訳にもいかないし、
身体も他は全く問題なかったので、父も連れて病院に戻った。
身体も他は全く問題なかったので、父も連れて病院に戻った。
息子と交代し、
息子が自宅で食事と風呂に入ってきたので、
息子が自宅で食事と風呂に入ってきたので、
夜になり酒が切れてむずがる父を一旦自宅に連れて帰った。
そして家に着いたまさにそのとき、
息子から携帯に電話があった。
息子から携帯に電話があった。
「血圧がどんどん下がっています。すぐに来て下さい」と。
380: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/21(木) 22:05:27
>>334です。
ここ数回の投稿が、332になっていました。
ごめんなさい。全て334です。
ごめんなさい。全て334です。
病院に着くと、
個室とナースステーションを行き来する看護士の姿が見えた。
個室とナースステーションを行き来する看護士の姿が見えた。
妻との約束で、決して人工呼吸器などはしない、
というのがあったので、
というのがあったので、
自力での呼吸が止まるといよいよとなる。
尿が止まって2日経っていた。
尿が止まって2日経っていた。
妻の身体は腫瘍熱により僕より熱い感じがした。
もしかしたら、
同じ感じを伝えたかったのかも知れない、と僕は解釈することにした。
同じ感じを伝えたかったのかも知れない、と僕は解釈することにした。
なんだか、理由も無く誇らしかった。
きっと熱でイカれていたのであろう。
きっと熱でイカれていたのであろう。
血圧が少し持ち直し、少しほっとして、
その夜は酒を飲みそびれて機嫌の悪い父と、
その夜は酒を飲みそびれて機嫌の悪い父と、
息子と僕の3人で交代で様子を見ていた。
そして明け方近くになって、息子が付き添っていた。
そして明け方近くになって、息子が付き添っていた。
僕は病室を出てすぐ隣の待合ソファーのあるところで横になっていた。
突然、息子が泣きそうな顔で出てきた。
今までに無い血圧の低下らしい。
主治医がやってきて、あれこれ看護士に指示をしながら
主治医がやってきて、あれこれ看護士に指示をしながら
僕たち3人に入るように促した。
もう、マスクも帽子も手袋も白衣も要らないらしい。
もしかすると、
そのときを個室で迎える為の配慮だったのかもしれない。
そのときを個室で迎える為の配慮だったのかもしれない。
「ご主人、息子さんも手を握ってあげていて下さいね。」
僕の手よりも更に熱い妻の手を握り締めていた。
いよいよその時が来たのである。
東向きにベランダの在る
その病室の大きな窓から、朝日が差し込んできた。
その病室の大きな窓から、朝日が差し込んできた。
妻は晴れ女だった。そしてまさに、
まさに眠るが如く、静かに息を引き取った。
まさに眠るが如く、静かに息を引き取った。
僕は息子をしっかりとハグした後、妻に向き直り、
いろんな計器や管を取り外されて身軽になった妻に語りかけた。
「長い間、良く頑張ったね。お疲れ様。」
妻の頬をなで、その顔を覗き込むようにして。
妻の頬をなで、その顔を覗き込むようにして。
溢れる涙は抑え切れなかったが、
それでも微笑んで、精一杯微笑んで言った。
それでも微笑んで、精一杯微笑んで言った。
妻の長い戦いは終わった。
癌が見つかって余命3ヶ月、
長くて半年、と言われてから6年と8ヶ月が経っていた。
長くて半年、と言われてから6年と8ヶ月が経っていた。
…なんかもう顔がぐしゃぐしゃです。
今日で終わりにする、と言っておきながら、
今日で終わりにする、と言っておきながら、
今日は最後までもう書けそうにありません。ごめんなさい。
明日には全てを書き終えます。
今日は今から帰って、家事をします。
おやすみなさい。
おやすみなさい。
明日に続きます。
381: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/21(木) 22:12:34
>>380
乙
今夜はゆっくり休んでくれな
382: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/21(木) 22:41:58
>>380
書くことで、気持ちが楽になるなら書いてくれ。
無理はするなよ。
384: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/22(金) 09:40:01
>>380
しっかり吐き出せよ。
好きなときに、好きなだけでいいさ。
おまいさんの体が心配だ。
385: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/22(金) 10:29:55
義実家の件は寂しい事だが
>>380が義兄や義母も自分の実の兄、
実の母と思って面倒を見る
実の母と思って面倒を見る
というつもりがないなら、仕方ないんだよ
向こうは380よりも経済力が圧倒的に無い。
自分らの事で精一杯なんだ
386: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/22(金) 21:40:40
>>334です。
温かいお言葉を掛けて下さる方々、有難うございます。
今日で書き終えようと思ったのですが、
義母の体調が思わしくなく、
義母の体調が思わしくなく、
仕事が終わったら
直ぐに隣市へ向かわなくてはならなくなりました。
直ぐに隣市へ向かわなくてはならなくなりました。
誠に勝手な言い訳で申し訳ないのですが、
この週末は義母の世話をしに参りますので、
この週末は義母の世話をしに参りますので、
どうかご容赦を下さい。
おやすみなさい。
388: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/22(金) 22:17:53
>>386
律儀な人だな。体調大丈夫かいな・・・
394: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/26(火) 21:02:24
>>334です。
おかげさまで
義母の様子も小康状態を取り戻したようで、
数日後に退院できるようになりました。
義母の様子も小康状態を取り戻したようで、
数日後に退院できるようになりました。
妻の身体から色んな管やコードが外され、
酸素マスクが外されたとき、
酸素マスクが外されたとき、
妻がなくなったのだ、と言うことを思い知らされた。
手を握ると、まだ腫瘍熱の名残で充分温かい。
まだ生きているようだ。
まだ生きているようだ。
しかし、もうあの荒い呼吸をしていない。
力なく口を僅かに開けたまま、
妻の目が開かれることはもうないのだ。
妻の目が開かれることはもうないのだ。
僕は暫く、阿呆のようにただ妻の傍に腰掛け、
じっとその顔を見下ろしているだけだった。
じっとその顔を見下ろしているだけだった。
母がなくなったときには、その臨終には間に合わず、
今のこの妻の状態と同じときに
病室に駆け込んだんだなあ、と今になって思った。
病室に駆け込んだんだなあ、と今になって思った。
「まだ温かいじゃないか」同じ台詞を口にしていた。
汗をかいていた妻の顔をタオルでゆっくりと拭いてやりながら、
汗っかきが悩みの種だった妻を、
もう汗をかくこともないことを寂しく思った。
もう汗をかくこともないことを寂しく思った。
何か色んな書類を受け取り、
それと並行して簡単な死化粧と清拭をしてくれていたようだった。
それと並行して簡単な死化粧と清拭をしてくれていたようだった。
元々アイライナーの不要なほどクッキリ眼だった妻。
唇には紅が差してあった。
唇には紅が差してあった。
葬儀会社の方が妻のな骸を引き取りに来た。
担当医と少数の看護士に見守られて、
なくなった患者だけが通る通路を一緒に出た。
なくなった患者だけが通る通路を一緒に出た。
葬儀会社の車に妻を載せ、葬祭会場へ運ぶのだ。
妻を載せた車には、息子が同乗して行った。
妻を載せた車には、息子が同乗して行った。
世話になった担当医と看護士の皆さんに
心から厚く御礼を申し上げ、
僕は、朝日の強く照らす中、病院の外周を歩いて回って
自分の車を留めてある駐車場に向かった。
心から厚く御礼を申し上げ、
僕は、朝日の強く照らす中、病院の外周を歩いて回って
自分の車を留めてある駐車場に向かった。
歩きながら、自分の足が地面に着いている感覚が無かった。
いつかこの日が来ることは解っていた筈なのに、
とうとう僕は最後まで
その覚悟が出来ないままこの日を迎えてしまった。
7年前に母をなくし、その喪主を父にマル投げされ、
とうとう僕は最後まで
その覚悟が出来ないままこの日を迎えてしまった。
7年前に母をなくし、その喪主を父にマル投げされ、
あたふたとするままに色んな法事を迎えた直後に発覚した妻の癌。
それから6年と8ヶ月、目まぐるしくも、
本当に沢山の事が在り、長く感じることもなく、
実にあっという間のことのように思えた。
まるで他人事のように、
ゆっくりと思い出されては、消えていった.
ゆっくりと思い出されては、消えていった.
395: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/26(火) 21:33:01
>>334です。
葬儀会場に着くと、
その控え室のようなところに妻は安置されていた。
その控え室のようなところに妻は安置されていた。
葬儀社の方が妻の身体の周りに、
ドライアイスをセットしていた。
ドライアイスをセットしていた。
その間に僕は、息子には妻の傍に居てあげるように指示をし、
息子の学校関連に連絡をし、一両日の忌引きの旨を伝えた。
僕の知人関係にはccでのメールで知らせた。
また妻の知人達には、
また妻の知人達には、
何故か一人ずつメールや電話でお知らせをした。
また、妻の実母や実兄には電話をしたが
留守電だったので、その旨を吹き込んでおいた。
留守電だったので、その旨を吹き込んでおいた。
返信はその日には無かった。
妻が運び込まれたとき、
その葬祭場には既に告別式の方が居られ、
僕たちは控えの棟で待機することになった。
また翌日が友引だった為、
妻の通夜は更にその翌日と言うことに決まった。
その葬祭場には既に告別式の方が居られ、
僕たちは控えの棟で待機することになった。
また翌日が友引だった為、
妻の通夜は更にその翌日と言うことに決まった。
この控え室に二日居ることになったのだ。
必要な書類などを近くの自宅に取りに帰ると、
父は相変わらず酒を飲んでいた。
父は相変わらず酒を飲んでいた。
「写真を選ばなくてはならんのー」と、
心なしか嬉しげに見えた。少しイラッとした。
心なしか嬉しげに見えた。少しイラッとした。
「明日が友引と言うことで、
通夜は明後日、告別式はその翌日となります。
通夜は明後日、告別式はその翌日となります。
(自宅)に電話や訪問者があれば、その旨お伝え下さい。」
と父にお願いすると、
と父にお願いすると、
「そんなことは全て、喪主のオマエの仕事と違うんか?
ワシはそんなことよりも、
母親をなくした○○(孫:僕の息子)の事が可哀相で、
呑まにゃおれんのじゃ。」とのたまう。
ワシはそんなことよりも、
母親をなくした○○(孫:僕の息子)の事が可哀相で、
呑まにゃおれんのじゃ。」とのたまう。
396: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/26(火) 21:43:59
>>334です。
反論する気もなくした僕は、そのまま家を後にし、
町内会の隣保の世話人に、この度のことを伝え、
町内放送でのお悔やみのお知らせ
(これは町内会のルールでもあるので)をお願いした。
(これは町内会のルールでもあるので)をお願いした。
お腹も空いたであろう息子のことを考え、
とりあえず弁当を
とりあえず弁当を
何食か買って葬祭場の控え室に戻ると、
妻はすっかりドライアイスに周りを囲まれた姿で眠っていた。
妻はすっかりドライアイスに周りを囲まれた姿で眠っていた。
今日は奇しくも日曜で、
明日は平日だが友引、明後日の通夜の日は祝日とあって、
明日は平日だが友引、明後日の通夜の日は祝日とあって、
まるで出来すぎのような日取りだなあ、と反芻しつつも、
息子には何か食べておくようにと弁当を渡し、
息子には何か食べておくようにと弁当を渡し、
自分もその一つを食べたが、
モノを噛んで味わっている感覚がしない。
葬儀社の方の段取りの説明もあったが、
葬儀社の方の段取りの説明もあったが、
まるで頭に入らない。とりあえずメモを取って、対応するしかなかった。
母のときも、なんだか用意されていた
段取りに流されたような節もあって、
段取りに流されたような節もあって、
今回もそうなるのかなあ、なんて、
まさに他人事のように呆けていたのかも知れない。
まさに他人事のように呆けていたのかも知れない。
しかしその考えは甘かった。
身内にアレほどまでに振り回されようとは、
身内にアレほどまでに振り回されようとは、
このときには知る由もなかったからである。
その日は、一旦自営する職場に戻り、
告別式の日には休まねばならない事の
段取りをし終えて、妻の元へと戻った。
段取りをし終えて、妻の元へと戻った。
息子には、自宅に戻って
通夜や告別式に向けて身体を休めるように伝え、
通夜や告別式に向けて身体を休めるように伝え、
自分は、この控え室で夜を明かす事に決めた。
妻一人では寂しいじゃないか、と何故か思ったからだ。
物言わぬ妻は、まるで眠っているようだ。
しかしその身体は、限りなく冷たい。
僕は妻のな骸に並ぶように座布団を敷き、其処に身体を横たえた。
手を繋いでやりたかったが、
妻の両手は、胸の上で固く結ばれており、
妻の両手は、胸の上で固く結ばれており、
その上に何か重厚な布が掛けられて
ドライアイスまで載せられていたので、
それは断念するしかなかった。
ドライアイスまで載せられていたので、
それは断念するしかなかった。
安らかに眠っている妻の身体に手を伸ばし、
その肘辺りに手を添えて、
僕は妻に「おやすみ」と言った。
僕は妻に「おやすみ」と言った。
398: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/26(火) 22:07:23
>>334です。
遺体と夜を過ごすのみならず、
添い寝をする事には、恐怖や一種異常さ、
添い寝をする事には、恐怖や一種異常さ、
更には狂気を感じる人も居られるかもしれない。
でも、その時の僕は、
何ら異議を感じる事も無く、自然にそう出来たのである。
何ら異議を感じる事も無く、自然にそう出来たのである。
僕は少し眠ったのかもしれない。
でも、妻は夢には出てきてくれなかった。
でも、妻は夢には出てきてくれなかった。
その事に僕は少しだけ残念な思いがした。
夜が明け、平日の月曜であるが、
今日は友引であり、葬祭場は実質お休みである。
今日は友引であり、葬祭場は実質お休みである。
この控え室に僕と妻が居るだけであるが、
程なくして息子がやってきた。
今日はギリギリまで妻の傍に居て、
仕事に通常どおり出かけ、最短で仕事をこなした後、
程なくして息子がやってきた。
今日はギリギリまで妻の傍に居て、
仕事に通常どおり出かけ、最短で仕事をこなした後、
最速で再びここに戻ってくるまでの間の
交代要員として息子に来てもらったのである。
交代要員として息子に来てもらったのである。
僕が息子を妻の傍に残している間には、
後に判ったことだが、
息子は妻と沢山対話をしたようである。
僕は少しでも早く、
息子のグリーフケアをしないといけない、と思うに至った。
後に判ったことだが、
息子は妻と沢山対話をしたようである。
僕は少しでも早く、
息子のグリーフケアをしないといけない、と思うに至った。
僅か14歳で母親をなくしたのである。
まだまだ男の子にとっては母親の存在は大きい年頃。
しかも彼のその今までの人生の中で、
半分が闘病している母親とのモノでしかなかった。
半分が闘病している母親とのモノでしかなかった。
彼をそんな境遇に生まれてきた事に対して、
本当に不憫で申し訳なく思った。
本当に不憫で申し訳なく思った。
これは今でもずっと思い続けている。
仕方のない事だとは言え、
僕自身が母親をなくした
35歳のときですら悲しかったのであるから、
まだまだ母親にも甘えたい男の子の14歳では、
仕方のない事だとは言え、
僕自身が母親をなくした
35歳のときですら悲しかったのであるから、
まだまだ母親にも甘えたい男の子の14歳では、
その悲しみは如何ばかりであろうか。
息子には、一生詫びなければならないだろう。
息子には、一生詫びなければならないだろう。
こんな父の下に生まれてきた息子よ、
どうかこの父を許して欲しい。
どうかこの父を許して欲しい。
母親の愛を充分に受けられたとは決していえない息子よ、
どうか愛を知る大人に育って欲しい。
どうか愛を知る大人に育って欲しい。
397: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/26(火) 21:48:41
名前のところに334って入れてくれると読みやすいんだけど
399: 334 2010/10/26(火) 22:30:57
>>397さん、
これで宜しいでしょうか?
これで宜しいでしょうか?
>>334です。
奇しくも二晩、妻と共に夜を過ごせた。
なんだか理由も無く誇らしかった。
なんだか理由も無く誇らしかった。
ホントに他には誰も居ない二人きりの夜。
まるで恋人時代の二人に還ったような気すらしていた。
まるで恋人時代の二人に還ったような気すらしていた。
もしその時の僕を眺めるものが居たら、
異様なものに見えたかもしれない。
異様なものに見えたかもしれない。
遺体に手を伸ばし、
同じ天井を眺めるが如く、物言わぬ遺体に話しかける様は。
同じ天井を眺めるが如く、物言わぬ遺体に話しかける様は。
通夜の日になって、慌しくなってきた。
それこそ、色々な人(葬儀関係者)がやってきて、
色んな手続きをしたり、するべきことが一杯である。
先ずは遺影を決めなければ。
それこそ、色々な人(葬儀関係者)がやってきて、
色んな手続きをしたり、するべきことが一杯である。
先ずは遺影を決めなければ。
僕は実は既に決めていた。
まだ息子が園児だった頃、近くの公園に出掛け、
ツツジの一杯咲くところで
息子がカメラのシャッターを押した一枚の写真。
息子がカメラのシャッターを押した一枚の写真。
僕は野球の捕手のように屈み、
妻はそれに横から覆いかぶさるように、
妻はそれに横から覆いかぶさるように、
それでも顔は前に向けてニッコリとした写真が在るのだ。
妻の瞳はしっかりとカメラを持っていた息子に向けられ、
その瞳には小さくとも息子が映っていたに違いない写真が。
その瞳には小さくとも息子が映っていたに違いない写真が。
その事が父には気に入らなかったらしい。
自分が仕切りたかったのだ。
自分が仕切りたかったのだ。
酒臭い息を吐きながら、
僕に散々罵詈雑言を浴びせて悪態をついて自宅に戻っていった。
僕に散々罵詈雑言を浴びせて悪態をついて自宅に戻っていった。
どう思われようとも、僕はこの写真を遺影にする事にした。
妻は今も変わらず、
あのときの息子に向けていた笑顔を僕たちにくれている。
あのときの息子に向けていた笑顔を僕たちにくれている。
修羅場が次々と襲ってくる事になるのだが、
それはまた明日に書かせてください。
それはまた明日に書かせてください。
自宅に戻って家事をします。
本当に長くなって申し訳ありません。
本当に長くなって申し訳ありません。
でも妻がなくなって2年半経って初めて書く気になれたのです。
どうか我侭をお許し下さい。
皆さんおやすみなさい。
明日に続きます。
400: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/26(火) 22:40:49
>>399
固定ハンドルをつけたのだから、
「続きます」はいらんぞ。
「続きます」はいらんぞ。
ちゃんとみんな続きを探して読めるからな
401: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/26(火) 23:09:00
>>334
おつかれ。
がんばれよ。
402: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/26(火) 23:26:01
永眠した妻と添い寝するのは狂気なのかな?
床の間で二晩、一緒に寝たよ
入院中、一緒に寝られなかったから。
北枕でも関係なかった
とにかく一緒にいたかった
403: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/27(水) 09:38:25
それは普通
あれ?おかしいかな?って戸惑ってしないと後悔する
最後の別れをしたらしたくても出来ないからな
405: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/27(水) 21:30:59
>>402
> 永眠した妻と添い寝するのは狂気なのかな?
> 床の間で二晩、一緒に寝たよ
変じゃないよ。
俺の父も、なき母と葬式までの二晩いっしょの部屋で寝てたよ。
添い寝じゃないが。
406: 334 2010/10/27(水) 22:03:19
通夜が始まり、友人知人たちが沢山来てくれた。
妻の好きだったミニーの気ぐるみパジャマを着せ
(妻との約束)ミッキーと
ミニーのブライダルペアマスコットを添えてあげた。
ミニーのブライダルペアマスコットを添えてあげた。
それも父は気に食わないらしい。
通夜が終わって、
僕の友人が残ってまで力づけようとしてくれていた。
僕の友人が残ってまで力づけようとしてくれていた。
義兄は来てくれていた。義母は来なかった。
遺影選びで不貞腐れた父は、
通夜が終わるとさっさと自宅へ戻り、酒を飲んでいるらしい。
通夜が終わるとさっさと自宅へ戻り、酒を飲んでいるらしい。
僕の友人たちは義兄と面識が無い。当たり前の話だが。
その友人たちに義兄が絡んだ(素面なのに)。
「お前ら、何人の顔ジロジロ見とるんじゃ!!」
まるでヤ○ザの因縁である。
まるでヤ○ザの因縁である。
二者を隔離して、友人たちに詫びた。
喪主はとにかく忙しい。
悲しんでいる暇すらなく、目まぐるしく立ち回る。
悲しんでいる暇すらなく、目まぐるしく立ち回る。
すると自宅に戻っていてくれた弟夫婦と何かあったらしく、
弟に父が切れ、取っ組み合いの喧嘩をした後、
家を飛び出した、との電話。
家を飛び出した、との電話。
飲みに出掛けたらしい。
じっと妻の傍で静かに悲しみをこらえる息子だけは、
そっとしておいてやりたかったので、
そっとしておいてやりたかったので、
それにのみ気を配り、後は機械的に動いていた。
407: 334 2010/10/27(水) 22:07:38
夜が明けて告別式。
やっと義母も来てくれた。
父は親類縁者たちに孫の自慢をしたいらしく、
やたらと息子を色々連れまわそうとする。
やたらと息子を色々連れまわそうとする。
僕と息子はお越し下さったお客様たちに
入り口でご挨拶をしなければならない、といっても、
不服そうに睨み付ける。今は余り家族間で揉めたくは無い。
入り口でご挨拶をしなければならない、といっても、
不服そうに睨み付ける。今は余り家族間で揉めたくは無い。
出棺の際、最後のお別れで、
息子が泣きながら大きな声で、
息子が泣きながら大きな声で、
「僕がこんな病気をこの世から無くしてやるんだ!」
と言ったのが今も耳に残っている。
と言ったのが今も耳に残っている。
彼の最大のモチベーションとなることを願っている。
告別式が終わって斎場へ向かう。とうとうお別れだ。
火葬される前にもう一目妻を見た。
そしてその頬に手を添えた。
そしてその頬に手を添えた。
さようなら、僅か15年余りの結婚生活ではあったが、ありがとう。
もうこの手に君を抱くことも出来ないが、
ずっと傍に居て欲しい。
ずっと傍に居て欲しい。
息子を授けてくれてありがとう。
幸せにしてあげられなくてごめんな。
幸せにしてあげられなくてごめんな。
もう苦しくも痛くも無い所へ行くんだね。
もう暫くしたら、僕もそちらに行くから、
そのときはまた一緒に居てくれるかい?
そのときはまた一緒に居てくれるかい?
火葬場の扉が閉じられ、着火されるのが判ると、
僕はその場に膝を落として、静かに泣いた。
僕はその場に膝を落として、静かに泣いた。
僕の妻は、灰になってしまった。
骨拾いのときに、
僕はこっそりと小指の骨であろう一片をそっと包みに入れた。
僕はこっそりと小指の骨であろう一片をそっと包みに入れた。
通夜のときに清拭業者に頼んで分けてもらった遺髪と共に、
その遺骨は今僕の持ち歩く小さなポーチに入っている。
その遺骨は今僕の持ち歩く小さなポーチに入っている。
逢えなくて寂しい。声が聴けないのが寂しい。
共に笑えないのが寂しい。
成長していく息子を共に見れないのが悲しい。
成長していく息子を共に見れないのが悲しい。
さようなら、僕の妻。
こうして、妻は旅立っていった。
408: 334 2010/10/27(水) 22:17:21
皆さん、こんなただ長ったらしい話に
お付き合い下さって有難うございました。
お付き合い下さって有難うございました。
書きながらどうしても涙が出てきて仕方ありません。
妻の居ない生活も2年半が過ぎようとしていますが、
その間にも色々なことがありました。
その間にも色々なことがありました。
その中で、自分の父が自己愛性人格障害者であることや、
息子がそれに影響されて良くない傾向にあることなど、
まだまだ吐き出したいのが正直な気持ちです。
でも、もしかするとそれらの内容はスレチかも知れません。
ですから、この続きをどうしようか悩んでいます。
今現在の地獄のような生活は、
まさにこの期間のことなのですから。
まさにこの期間のことなのですから。
今日はこれで家事に帰ります。
長い稚拙な駄文にお付き合い下さり、有難うございました。
410: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/27(水) 22:51:07
息子心配だな
411: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/27(水) 22:59:53
お疲れさん
現在のことについては家庭板や育児板などに
吐いたり相談できるスレがあるんじゃないかな
気団にも該当スレあるかもしれないし
人生相談板もある
おこがましいかもしれないが
>>334が嫁さんにしてあげたことはベストだったと思うよ
412: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/27(水) 23:01:53
>>408
334氏、すべて読んだから。
奥様の冥福をお祈りします。
413: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/27(水) 23:18:57
>>408
父親と息子のことは、役所か福祉事務所に相談しろ
一人で解決しようと思うなよな
414: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/27(水) 23:55:56
>>408
ここで吐き出したければ吐き出せよ。
少なくとも、おまいさん1人で戦うよりはここで吐け。
スレチなんて叩く奴はいないはずだ。
415: 334 2010/10/28(木) 21:31:05
皆さん、温かいお言葉、ありがとうございます。
結局、妻の葬儀関係(その後の経費も含めて)では、
合計300万以上掛かってしまった。
合計300万以上掛かってしまった。
互助会のようなものには入っていたにも拘らず、
なんかオプションが付く度に跳ね上がっていく。
なんかオプションが付く度に跳ね上がっていく。
更に、家の宗旨は仏教ではない為、
オプション扱いで何かと高いものばかりだった。
オプション扱いで何かと高いものばかりだった。
葬儀を司る祭司(仏教で言うお坊さん)に、
あんなに費用が掛かるものとは想定外だった。
あんなに費用が掛かるものとは想定外だった。
母親のときは、医療を含む損害保険や、生命保険のおかげで、
手元から出て行くお金はそんなにも無かったのだが、
妻の場合は、
損保も生保も無い上に弔問客も沢山来てくれたので
損保も生保も無い上に弔問客も沢山来てくれたので
(会場にも入りきれないほど)、
規模としては大きなものになってしまった。
規模としては大きなものになってしまった。
中には逢ったことも無い親戚(妻側)とか、
名前すら聴いたことの無い親戚も来て、
何かと出て行くものが多かった。
何かと出て行くものが多かった。
仏教で言うところの
四十九日にあたる法事が終わって納骨となった折も、
四十九日にあたる法事が終わって納骨となった折も、
お墓に名前を刻んでもらったり、祭司に来てもらったりと
何かと出て行く費用は馬鹿にならなかった。
ここからは、正直、僕の甲斐性が無い、
ただ単に稼ぎが悪いことから来るものだ、と猛省している。
ただ単に稼ぎが悪いことから来るものだ、と猛省している。
収支がだんだんと狂ってきた。
出来る手立ては手を尽くした。
自分が仕事で居ない間の父の浪費が痛かった。
自分が仕事で居ない間の父の浪費が痛かった。
いわゆる、エコとは真逆の行動である。
光熱費は倍以上に上がった。
後でわかったことだが、男3人になってしまった当初、
後でわかったことだが、男3人になってしまった当初、
夕飯は父にお願いをしていた。
今思えば、大きな間違いだった。
今思えば、大きな間違いだった。
息子には父が固く口止めしていたらしいが、
夕飯の殆どがレトルトか牛丼、
夕飯の殆どがレトルトか牛丼、
そしてスーパーの弁当のローテーション。
これでは駄目だ、と思った僕は、
これでは駄目だ、と思った僕は、
仲の良い従兄を通して、
妻側の遠い親戚にあたる隣町に住む女性に、
妻側の遠い親戚にあたる隣町に住む女性に、
夕飯時のお手伝いを頼むことが出来た。
その女性は、DV被害から逃れ、
親と住んでいたので、快諾してくれた。
親と住んでいたので、快諾してくれた。
それがあんなことになろうとは。
416: 334 2010/10/28(木) 21:53:35
父は昔からよく僕たちに云っていた。
それこそ耳タコレベルで。
それこそ耳タコレベルで。
父は幼い頃、大きな家に住んでいて、
そこには使用人もいて、自分は何もしなくてよかったと。
そこには使用人もいて、自分は何もしなくてよかったと。
しかしあの戦いが全てをワシから奪ったんじゃ、と。
家も家族も裕福な暮らしも。
家も家族も裕福な暮らしも。
彼は、自分にその才能があったにも拘らず、
孤児院に身を寄せるしかなくなって、
孤児院に身を寄せるしかなくなって、
結果、中学までしか通わせてもらえなかった、と。
中卒の所為で自分は、
お前らには想像も出来ん苦労を味わったんじゃ、
お前らには想像も出来ん苦労を味わったんじゃ、
と何度も同じ話を聞かされていた。
ワシをそんな風にしたあの戦いが憎い。あの時代が憎い。
そして何より、先見の明なく家族をばらばらにしてしまった
父親(僕の祖父:僕は写真でしか知らない)が憎くてたまらない。
父親の所為で、ワシはほんの9歳で、
母親を失ったんじゃからのー!と
母親を失ったんじゃからのー!と
そして自分は、その裕福な時代、
祖母にはものすごく可愛がられた、とも。
祖母にはものすごく可愛がられた、とも。
戦前の頃で、直系嫡子なのだから、
よくある話だとは思っているが、
よくある話だとは思っているが、
その全ての要素が、
彼の、いわば「自己愛」フィルターによって
彼の、いわば「自己愛」フィルターによって
捻じ曲げられた思い出と解釈に変換されてしまっているのだ。
かわいそうな人だ、と思う。哀れですらある。
しかし、その父親に対する憎悪が、
あんな形で僕に降りかかろうとは思いもしなかった。
あんな形で僕に降りかかろうとは思いもしなかった。
どうやら、彼の中では、
「父親は息子にひどいことをした」というのが
「父親は息子にひどいことをした」というのが
定着していて、
その所為で彼は僕にどんな酷いことをしたとしても
その所為で彼は僕にどんな酷いことをしたとしても
彼がその父から受けたことに比べれば甘いもの、なんだそうだ。
だから、彼はことごとく僕のやることなすことに逆らうのだ。
(僕には弟がいるのだが、
結婚して家から出ているので、何ら近づこうとはしない。)
結婚して家から出ているので、何ら近づこうとはしない。)
そして、孫は溺愛する。
僕がいくら息子を自立できるように厳しく指導しようとしても、
僕がいくら息子を自立できるように厳しく指導しようとしても、
安易な助け舟を出して台無しにしてしまう。
このままでは息子は、父のコピーとなってしまう。
だから僕は、件の女性を招いたのだ。
何より、息子が学校から帰宅した折に
何より、息子が学校から帰宅した折に
「おかえり」と言ってくれる女性の声があることの和やかさ。
男3人で1年過ごしてみて、
息子がそれを渇望していることが見て取れた僕は、
息子がそれを渇望していることが見て取れた僕は、
ちゃんとパート代に相当する費用を払って来て貰えるようにした。
当初は、息子も非常に喜び、よく懐いていた。
その女性も、残した息子と
同じような年齢の息子を重ねるように接してくれていた。
同じような年齢の息子を重ねるように接してくれていた。
しかし、父は大きな勘違いをしていた。
417: 334 2010/10/28(木) 22:30:38
父は、息子のために来てもらって
夕食のお世話をしてくれるその女性を、
夕食のお世話をしてくれるその女性を、
自分の為に来たお手伝いさんだ、と思っていた(る)ようだ。
裕福な家に育った時代の、
使用人だとも思いこんだっぽい。
使用人だとも思いこんだっぽい。
そしてあろうことか、その女性に手を出そうとまでしたのである。
幸い、未遂に終わったが、その話を聞いて、
僕は即刻、その女性に詫び、
来てもらうことを止めて貰った。
来てもらうことを止めて貰った。
そのことが、
父にとっては、せっかく自分にあてがわれた女を、
父にとっては、せっかく自分にあてがわれた女を、
息子である僕が引き剥がした、と解釈したのである。
「オマエまでもがワシから何もかも奪うんか!?」と罵倒された。
「やはりこの世に信じられるものは居らん。みんなが敵じゃ!」と。
418: 334 2010/10/28(木) 22:32:25
僕は今でも朝5時に起きて
子供の弁当と父と息子の朝食を作り、
子供の弁当と父と息子の朝食を作り、
子供が学校に出掛けた後
(その間も父は呑みながら3時間掛けて朝食をとる)、
(その間も父は呑みながら3時間掛けて朝食をとる)、
仕掛けておいた洗濯物を干し、
その後、洗い物や掃除をした後、父の昼食を作り、
その後、洗い物や掃除をした後、父の昼食を作り、
彼がまたもや飲みながら
昼食を2時間くらい掛けてとっている間に、
父と息子の夕食を調理し、
昼食を2時間くらい掛けてとっている間に、
父と息子の夕食を調理し、
後はレンジで温めるだけ、と言う状態にして仕事に出掛ける。
10時ごろに仕事が終わると、
帰路途中にある深夜も開いている
スーパーで割引商品などを選んで購入し、
スーパーで割引商品などを選んで購入し、
帰ったら、山のように積み上げられている
昼食と夕食の洗い物を片付けて、
昼食と夕食の洗い物を片付けて、
浴槽のお湯を洗濯機にバケツで移した後、
朝に仕上がるように洗濯機をセットし、
朝に仕上がるように洗濯機をセットし、
寝るのは早くて1時、遅くなると3時くらいになる毎日だ。
何度説明しても彼らに節約とかエコの概念がないので、
節約できるところは僕が削っていくしかないのだ。
それでも、電気水道ガスを、まさに湯水の如く使う父。
米は新米のコシヒカリでないと機嫌が悪くなり、
それでも食べるかどうかもそのときの気分しだい。
それでも食べるかどうかもそのときの気分しだい。
余ったご飯を冷凍保存しても、
冷凍米は不味いから、と食べない。
冷凍米は不味いから、と食べない。
無駄をなくするために、
少なめに炊くと、僕の食べる分が必然的になくなる。
少なめに炊くと、僕の食べる分が必然的になくなる。
おかげで糖尿の良い対策にはなっているが。
ただ、それでも足りない費用は、
僕が自分の保険を解約したり、
僕が自分の保険を解約したり、
手持ちのコレクションを売ったりして凌いで来たが、
そろそろ僕も疲れた。
息子が当初の目標どおり東京に進学し、
もし父も居なくなったら、
もし父も居なくなったら、
この家を僕独りで住む意味を見出さなくなった。
本当は今すぐにでも蒸発したいくらいだが、妻との約束がある。
息子を一人前にして初めて、その約束を果たしたことになる。
父は、僕を使用人としか思っていないようだ。
彼らが用意した普通の食事をしている間、
僕は洗い物や彼らの次の食事の準備をしている。
僕は洗い物や彼らの次の食事の準備をしている。
僕が食事を取らないのが普通になっているようだ。
おかげで、妻をなくしてから30キロほど減量できた。
もとは太めだったからなあ。
自分が食べない米を研ぎ、自分が食べない食事を作り、
自分が殆ど居住していない家の支払い・掃除、メンテをし、
世のお母さん方がある日
突然の蒸発願望を抱くこともあることを、今実感している。
突然の蒸発願望を抱くこともあることを、今実感している。
419: 334 2010/10/28(木) 22:33:26
最後は、ただの愚痴になってしまいましたが、
これでもし、義母がどうにかなってしまったら、
これでもし、義母がどうにかなってしまったら、
義兄の世話も僕がしなければならなくなるのです。
何の為の人生なのか、
判らなくなってしまっているのが今です。
判らなくなってしまっているのが今です。
奥様を失ってしまわれた
諸兄の方々、こんなヘタレも居るのです。
諸兄の方々、こんなヘタレも居るのです。
なんか、変な終わり方でごめんなさい。
鬱かも知れませんね。
鬱かも知れませんね。
ハッピーエンドでなくて、申し訳ありませんでした。
このスレは、
心が折れそうになったら、また覗かせて下さいね。
心が折れそうになったら、また覗かせて下さいね。
さようなら、皆さん。今まで有難うございました。
420: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/28(木) 22:54:43
お疲れ様
421: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/29(金) 01:23:37
父親をなんで追い出さないんだろう?
422: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/29(金) 01:36:29
父親捨てろと背中押されたくて来たんだろうからはっきり言う
追い出せないなら施設なり入れてしまえ、
金はかかってもいいじゃないか?
金はかかってもいいじゃないか?
はっきりいうが
10年後を考えると子供に全力投球しないと先がない
10年後を考えると子供に全力投球しないと先がない
先がないというのは子供自身だよ、
そんなの見てて結婚とかできるか?
そんなの見てて結婚とかできるか?
普通の生活に幸せがないって思い込んでるだろう
そしてきっと
自分も父親にああしないといけないと思い込んでるだろう
自分も父親にああしないといけないと思い込んでるだろう
全部抱え込んで自分はそれでいいが、
本当の家族の単位である息子が気の毒だ
本当の家族の単位である息子が気の毒だ
きっと心の中で
自分の地位の低さに泣いて育ったんだろう
自分の地位の低さに泣いて育ったんだろう
今からでも遅くないから本当の家族を大切にしろ
義理は義理なんだから背負い込みすぎるな所詮他人だ…
嫁は死んでないが言わせて貰った
---------------おすすめ記事--------------------
放置子の親が「うちの子知らない?」と訪ねてきた。朝に300円持たせて「友達の家に行きなさい」と外に出して夫婦二人でパチ屋に行ってたらしい。
結婚式を控えたある日、嫁が会社の係長と飲みに行く約束をしてるLINEを発見。式には俺上司や同僚も出席予定で中止になったら合わせる顔がない…俺はどうすればいい?
一緒に高級旅館に泊まった友人が食事の席で「しまった私和食ダメなんだった!」と言って料理の交換を迫ってきた→私も食べたい料理だったので拒否したら…
万馬券を当てた旦那に貰ったお小遣いでママ友に昼食を奢った後日、見知らぬママに「運を分けて欲しいから当選金を分けて下さい」的な事を言われた。
お祭りのビンゴ大会で当てた景品を受け取ったら一緒に来てた友達が「いいなー私の家にあったら便利そう」と言い出した→スルーしてたら…
浮気と借金が原因で姉と離婚した元姉夫が慰謝料457万円の支払いを求めるメールを姉に送り付けてきた。
新幹線のグリーン席に座ってたら見知らぬ女が「私は持病があって立ってると発作を起こして倒れるわよ!」とか言って私の膝の上に荷物を置いてきた。
※前編へ
引用元 嫁に先立たれた奴集まれ 2
コメントする